自然体の条件

ドラム隊が行進し、「ラップ調」でコールする怒りの表明型のデモに対して、オキュパイウォールストリートや雨傘運動がもつ「自然体」の運動をこそという意見がある。

今のデモの姿は90年代後半からのサウンドデモの流れにあると思うが、それはそれまでの、組織主導のシュプレヒコール型のデモに抵抗を持つ層を、動員可能なオルタナティブなスタイルとして作り出された。

その次のフェーズとして「自然体」の運動というものがあり得るのかもしれないが、それが成立しにくい条件が日本にはあるように思う。

「自然体」が成立するには、その構成員の間に共有されるベーシックな感覚が必要で、同意・対立といった議論そのものを可能とする共通了解というものがあるのだろうと思うが、それがない中では、特異な突出例やイベントを活用する以外にないのかもしれない。