自由と民主主義の家庭生活

「Japan as Number One」のころの日本はブレードランナー的な黄禍論とセットで見られていたし、共産圏も枢軸国も非民主勢力として「先進民主主義国家」は常に「敵対勢力」との抗争の渦中にあった。「民主主義の時代」といわれるものも、それが常態だったのではないか。フォーディズムの時代に資本主義と民主主義が結婚していたように見えたとしても、それも白人男性を頂点とする制限民主主義でしかなかったともいえ、その覆いが霧散したところにPCと本音主義が噴出する。「68年の勝利」を矮小化すべきではないが、時代の子という側面も否定しきれず、「新冷戦」も反復されつづける「脅威」ではないか。