日本中世リアリズム

日本中世の肖像リアリズムは他に類例を見ないもののように思う。
西洋でも中国でも、肖像画は対象の美化、尊大化が行われており、「一休宗純像」などに見られる、対象を美化することのないリアリズムは少ない。一般的な尊大さに抗して現れた社会主義的なリアリズムも、ソ連や中国の「社会主義リアリズム」は論外としても、「苦境に喘ぐ民衆」の表象であって、日本中世のリアリズムとは位相が違う。
ではこの時期の日本のリアリズムが、真にありのままの実相を掴もうとしたリアリズムであったかといえば、そうとも言い切れない。飾り立てられた威厳、虚飾を排し、卑近にも見えかねない生々しさにアドバンテージを見出す価値観は、それを追求する姿勢自体を崇高なものとして、「偉大な」肖像画を現出させる。

突き抜けた尊厳や崇高さに抵抗を見せる日本人が具現化した「崇高さ」が、中世肖像リアリズムの中に、その特異性を顕著な形を持って現している。