コラム

自由と民主主義の家庭生活

「Japan as Number One」のころの日本はブレードランナー的な黄禍論とセットで見られていたし、共産圏も枢軸国も非民主勢力として「先進民主主義国家」は常に「敵対勢力」との抗争の渦中にあった。「民主主義の時代」といわれるものも、それが常態だったので…

自然体の条件

ドラム隊が行進し、「ラップ調」でコールする怒りの表明型のデモに対して、オキュパイウォールストリートや雨傘運動がもつ「自然体」の運動をこそという意見がある。 今のデモの姿は90年代後半からのサウンドデモの流れにあると思うが、それはそれまでの、組…

デジタルカメラにも撮像素子やレンズといった物理的な制約があり、ダイナミックレンジや周辺光量など物理的な特性がある。 デジタル化の進化の方向性は、制約の除去と選択肢の多様化にあるが、その時点で生み出される工業製品は技術的、経済的な制約の産物と…

海と映画と国威発揚

「海と映画館と国威発揚」 波間は美しく永遠の相貌のもとに時間を無くし、常識を逸脱した長時間露光は時間の意味の喚起ではなく、その無常性を強調し、世過ぎのコレクションはノスタルジックな廃墟趣味を開陳する。 取るに足らない無価値な現実にアイロニカ…

BI

BIって要するにAI長者の施しってことなんじゃないの。そんな、はした金程度で長者のフリーハンドを得られると思ってもらっては困るけど。 規律訓練も不要になるので、何でもいいから大人しくしておいてくれ、ISに行かれるよりはマシってところだろう。金持ち…

九条という現実

憲法九条は超自我だという柄谷の議論は面白いが、にわかには信じがたい。 九条が戦後日本人の重要な指針として存在し続けてきたことは確かではあるが、九条を改憲しないで済ませられたのは地政学的な条件があったからだというのも確かだろう。 そして九条が…

いつの時代も若い人は美しく、時代の先鋭的な問題を体現している

「われに撃つ用意あり」という映画のDVDを借りて見たら、昔見た事があったものだった。30年近く前だっただろうか。当時は馬鹿馬鹿しくて仕方がなかったが、今回そう気にならないで見た。 年齢という事もあるんだろうけど、時代が一回りしたんだなぁとも思っ…

どの道その手は血に染まっている

通時的な歴史性は万世一系の民族の血を物語り、共時的な空間性・平面性は帝国の共栄圏のホワイトキューブなプラットフォームを提供する。 どの道その手は血に染まっている。

超越性

一方で超越へのナイーブな没入があり、一方で超越への過剰な拒否がある。 超越へのナイーブな没入は、異端審問を生みファシズムへと至る。超越への過剰な拒否反応は、物事のプライオリティをなくし現状追認に陥る。 超越的な価値の正当性をいかに叫ぼうとも…

経営者-消費者

中間層=市民社会が、寡占化された産業構造下での労働者のエートスであったとして、新自由主義的な状況下にあける「社会」いかに可能だろうか。 労働者の経営者化(裁量労働性、成果主義)で「社会」は零細経営者のロータリークラブとして想像されるかもしれ…

知的放言

三島なんかでもそうだけど昔の小説家は面白おかしいサービス精神たっぷりな知的な放言を書いていたけど、今はあんまりそういうのがないような気がする。 昔の言論人には西欧の成果を自然な日本語に移植するという問題設定があったということが、知的放言の根…

夜の海

とろりとした夜の海。 月明かりに照らされた海面がゆっくりと波打つ。 際限のない底を意識しながら海面を上に見る。 止むことのない波のゆらぎにたゆたい続ける。どこかに流れているのだろう。 波の乱反射が、かすかに静かに降りそそぐ。 あの柔らかい光の上…

中立

中立という立場は原理的にはあり得ない。中立を装う言説が何を目的とし、中立を装う態度が相手にどういう行為を促しているのか、そこに無頓着を装う欺瞞を容認すべきではない。 しかし、中立的な場を設定する対話による止揚というフィクション抜きで社会性が…

ボーダーレス

ボーダーレスとは既存のボーダーを解体して、新たなボーダーを作り出すことであり、“真の”ボーダーレスを創出し得ると考えた時、それは抑圧の権力装置に堕す。 一方、ボーダーを所与の条件として、たとえ、あらゆる新規のボーダーライン設定があったとしても…

世界と人知

世界は存在として人知を越えているのかもしれないが、世界の相貌は人知を介在すること無しに立ち現れることはない。 立ち現れた世界は人知に規定されているのかもしれないが、人知を形作る基底部は人知の外部に位置する。

静かな夏という感触

去年は久しぶりに夏に実家に帰っていた。 子供の頃から住んでいた公団は空き部屋が増え、閑散とした気配が年々増している。 小学校と高校が一校づつ廃校になり他の学校に統合された。 団地から少し離れた場所にチェーン店のスーパーやドラッグストアが立ち並…

関心のないものと関わることは出来ない。

関心のないものと関わることは出来ない。 しかし関心のルートを創出することは可能。関心という心理作用を対象と紐付ける作業は、ある程度意識下でコントロールできる。 そしてその意識のコントロールをどこに設定するかの判断を政治という。

理念と日常的な行動倫理の乖離

理念と日常的な行動倫理の乖離がある。 フェーズ分けを導入することで、一応の整合性を確保しているような気にはなっているが、それでいいのだろうかという気もある。 だからといって、どちらかへの一元化は、フェティッシュな罠でもあるだろう。

西欧の成果をいかに日本語の実感に移し替えられるかという問題意識と、「自然」な日本語に論理を導入して解体しようとする問題意識。

「透徹した視点」

ある行動があって、それを遂行するための条件が、その行動の外で否認されているとき、その条件の存在は無視され議題の俎上に上げられることはない。 それを指摘し、現実を見るべきだという発言は、多くの非難を浴びながらも、一部の者から透徹した視点として…

並置

自分の写真だけを見ているぶんには、まぁいいんじゃないかと思っても、他の人の写真の中に並置するとどうにもパッとしない。 まぁ、水準にないということなんだろうけど、でも、そんな並置世界での位置取りに焦点を絞るのもややキケン。出来不出来とはまた別…

国学

かつて赤瀬川原平のトマソンを四方田犬彦が国学と言ったように、制度批判が国学に収斂する磁場から、われわれが自由である事を指し示す指標は特に存在しないだろう。

強者の論理、弱者の論理、システム論、共同体、アナキズム…。 局面局面においてそれらが個別に浮上する。 選択肢は3つ。 全ての局面に適応可能な論理を形成する。 論理の同一性を堅持して単一のアプローチで現実に対応する。 それら論理を適時使い分ける。

再構成と統合

矛盾を統合するのが美で、哄笑は矛盾の肯定である。というときの哄笑は、もはや人間のそれではないだろうけど、通常、笑いもまた一つの美だろう。 人は矛盾を直視することは出来ないにしても、矛盾を日々生きている。時に物語に物語を塗り重ね、時に物語の脱…

反復は避けられないし、避ける必要もない。それが反復であることの意識も避けようがなく、そのことのシニシズムと切実さも避けられない。

黄金時代

アダムとイブが居て、調和のとれた欠けたもののない楽園があり、知恵の実を食べたことから堕落が始まった。 そんな幼年期の黄金時代は、事後的に想像される起源の神話としてある。 既存の秩序が脅かされる時、楽園の神話が生み出される。 そもそも、そんな秩…

スーパーコンピューターとミライ

スーパーコンピューターを取り上げたTV番組を見たけど、番組の構造は常に反復されるもので、最新コンピューターの性能がヒトのそれを凌駕し、ヒトの特権性が奪われるディストピアを描いた後に、コンピューターの落とし穴を描いて安堵を与え、最後にヒトとコ…

「言ってしまえばよかったのに日記」女子スポーツの可能性

星野智幸さんのブログ。「言ってしまえばよかったのに日記」 女子スポーツの可能性についての記事。

自立

近代の特質としてある「自立」は、宗教から、因習から、社会からその身を剥がし、ジャンルの固有性への純化を指向した。その指向性が生み出すコンフリクトが「芸術性」と呼ばれた。 純化としての「自立」は賞味期限を過ぎ、コンフリクトが解消され、浮遊する…

自由

自由からの逃走という論理設定に違和感がある。エーリッヒフロムのことは知らないのでそれとは関係なく書いてしまうが、そもそも自由というものに実体はないのだろうと思う。自由はあるものからの開放の瞬間に現れるものでしかないのだろう。自由が実現した…