文化・芸術

作家の表現スタイルが確立された場合、それをアルゴリズムとして特許登録をすれば、アルゴリズムの照合検査でエピゴーネンの摘発もしやすくなり、バリエーションを変えて一点物も量産できて商売しやすくなるんじゃない? 知らないけど(笑)

海と映画と国威発揚

「海と映画館と国威発揚」 波間は美しく永遠の相貌のもとに時間を無くし、常識を逸脱した長時間露光は時間の意味の喚起ではなく、その無常性を強調し、世過ぎのコレクションはノスタルジックな廃墟趣味を開陳する。 取るに足らない無価値な現実にアイロニカ…

Chim↑Pom/北島敬三

歌舞伎町にChim↑Pomの展覧会を見に行ってきた。 入場チケット変わりのハンコを左手首に押してもらって、取り壊し予定のビルディングにエレベーターで4Fに上がる。 なんか楽しげにイベントとして展覧会を作っている感じがしていいなぁ、女性客が多いのもその…

遣りたい放題、西洋近世絵画

近代絵画のコードに慣れた目で見ると西洋近世絵画というものの総合芸術的というか、そこに込めようとしたものの熱量にたじろぐ。 絵画であり、物語であり、信仰であり、権威であり、スペクタルであり、記念であり、記録であり、といった具合に。 宗達がピカ…

お寺の「美術館」

興福寺の阿修羅像や中尊寺の金色堂は博物館のような建物に収められていた興ざめだが、しかしやはり博物館や美術館にはない信仰が垣間見える。 訪れる人の多くは地元の観光客のようで、休日のちょっとしてレクリエーションで来ているのだろう。 若いカップル…

「明治・大正・昭和」中村光夫

「明治・大正・昭和」中村光夫事実というのは、科学的にいえば、現象にすぎません。科学は、ほんとうは現象の背後に法則を求めるものです。現象(事実)がそのまま真実であれば科学は不要であるといえます。我々の目にうつる通り、太陽が地球のまわりをまわ…

メディウム

他のあらゆる技術や手法と同様にメディウムに対する関心も、その表現の透明性に対する批評的吟味としてのみ意味を持つだろう。 滞りなく流通する「自然な」包摂の暴力に抗う為に。 そこを離れれば、それは一つの住所を持った市民として登録され遇される。

良い子・悪い子・困った子

菊地成孔がブラックミュージックは「悪い子」の音楽だと言っていた。 缶蹴りをしている時に、ちゃんとゲームを遂行する子を「良い子」、途中で帰って家でジュースを飲んで頃合いを見て缶蹴りに戻る子を「悪い子」、途中で抜けて帰ってこない子を「困った子」…

考えていることとやっていることのギャップ。 スローガンと実際の身振り、手癖は、ずれながら交錯し合う。 それは悪いことというわけではなく、ただ現実はそうだということ。 そして、たぶんそのコンフリクトだけが興味深い。

アクチュアリティは何事かが発生しつつある現場に存在するのだろうと思う。

資産

対象に対する関心。あるいは対象と撮影者の関係に対する関心。あるいは対象に対する撮影者の在り方に対する関心。あるいは撮影手法に対する関心。あるいは撮影という条件に対する関心。 あらゆる関心項目から見放された空虚から一歩を踏み出す時、絵として構…

Absolute Zero 勅使川原三郎

プロパガンダだろうが、アートだろうが、そんなことはその時々の状況で臨機応変にやればいい。 行動のいちいちに理屈を持ちだして、自身のスタンスの同一性を固着する必要もないだろう。

「大江健三郎のアレゴリー」柄谷行人

【抜粋】 - アレゴリー的な作品が評判が悪いのは、自分の特殊的な事実を棚に上げて、一般的なものを語ろうとしているようにみえるからである。しかし、アレゴリー的作家が個別性にこだわっていないというのは誤りである。むしろその逆なのだ。シンボル的小説…

芸術 工芸

安定した良品を制作できる作家は芸術家というより工芸作家というべきだ、という言い方は、テーマパーク化した現代芸術へのアンチテーゼとしてそれはそれで分かるが、しかし内なる“芸術家”を抑圧して“工芸作家”として魂を売り渡す契機が作品の社会性を獲得す…

中川幸夫死去

中川幸夫のことは、ずっと気になり続けている。

PUMPED UP KICKS|DUBSTEP

取り囲まれている所与の条件を遊戯に変えるのが子供の能力だが、そのようにして編集やサンプリングを身体の快楽装置として変換する。 まぁ、凄すぎる。

スタイル

通常、信仰というのは神との互酬的な関係としてあり、信仰の見返りがないとき、その神は捨てられ別の神が信仰される。 ところが見返りが無いにもかかわらず、あるいは見返りが無いこと自体が信仰の根拠になるときがある。それが一神教なのだという。親鸞など…

自分で写真を撮るようになってから見るとどう見えるんだろうと、心霊写真のサイトを見てみた。 普通にコワイじゃないですか…。まぁ、心霊現象というよりネガティブな感情の純粋形態が怖いんだろうけど。 そして純粋形態は写真という抽象化を必須とする。スー…

写真を撮るようになってから、映画やTVを見ていても画面のこちら側に撮影者がいて撮っているんだなと思うようになった。当たり前のことだけど、画面の外には人がいて、人と人が関係し、人が人を撮っている。監督が撮っているというのとは少し違って、カメラ…

たまたま見かけたモネの「ポール・ヴィエのセーヌ川、冬」という絵に、凄く感激した。この絵の出来に揺り動かされたというより、映像の世紀に見出した絵画の力に打たれたのだと思う。

半年

菊地成孔が、9.11の後、アメリカでコメディアン達がそれをブラックジョークにするまで、半年のブランクを必要としたと言っていた。 春頃から写真投稿サイトに投稿するのが嫌になり、半年ほどたって最近また、投稿するようになった。 菊地の言う「半年」と自…

人として...

口をさしはさむことが、人として憚られるような作品がある。他人の家庭の事情に、普通は口をさしはさむことがないのと同じ心理を要請する作品。だから悪いとは言わない。それもひとつの有り様だとは思う。そしてそれも大変なことだと思う。思うけど、せっか…

「写真の読みかた」名取洋之助

写真論の古典として紹介されることの多い本書では、絵画に比べ夾雑物が混ざり込む写真は、一時の旬を過ぎればたちどころに記録としての価値に堕してしまわざるを得ず、その特性からタブローとしての自立を指向するよりも、むしろ「記号」として雑誌や写真集…

参照点の不在

実体的な参照点の不在を所与の条件とし、あらゆる躓きをフックとして積み上げる。 芸術、政治、身体、歴史、国家、言語、超越、教育、設計、美学、 一時期、人口に膾炙したクレオールとか、そういう話ではなく、古代ギリシアでもインドでも語られていたよう…

ある共感

人の作品を見て感銘を受ける。羨望して共感する。同時に自分の方向との違いを見る。共感しながら決別する。切り捨てながら場所を変えた開花に安堵する。切り捨てられながらも自身の作品に居場所を見出す。賛辞に含まれる羨望と決別。ある共感。

見取り図

落差にこそドラマは在る。 高低、明暗、反転、遠近、切断、結合。ドラマの発生源たる落差はしかし、いとも簡単にオリエンタリズムに収斂してゆく。 見取り図の提案は人の成すべき仕事でありかつ人の仕事ではない。

下北沢に撮りに行ったのに、食指が動いたのはこんな景色。どんな感性なんだと我ながら。 熊谷守一先生のコトバ。 「自分にないものを無理に何とかしようとしても、ロクなことにはなりません。」 まぁ確かにそうで、それ以外にないんだよね。しかしこういった…

目に余る写真

写真を撮りに出かけ、ふらふらと景色を見ながら歩いていて面白いと思ったものがあったのでカメラを向けて覗いてみても、その感じた面白さと合致しないことがままある。近づいたり遠ざかったりアングルを変えてみたりしても、どうも初めに感じた面白さに近づ…

稲川淳二 -語り手であること-

怪談の名手、稲川淳二は彼の持つ何とも卑しい佇まいが、そのポジションを不動のものにしている。 怪談、ホラーというものは、身体に重傷を負った者、極度のストレスから精神の均衡を崩した者を、蔑視して面白がるという極めて単純な差別感情を娯楽にしたもの…