写真

写真とリアルと

写真にとってのリアルさの揺らぎは今に始まったことではなく、いつも問題になっているのはリアルなものとして社会的に位置づけられるという現象の方だろう。 有名な戦場写真が演出であるとか、水平線に近接する雲の塊は存在しえないとか、一枚の写真が文脈に…

断片

森山大道と松江泰治の二人で特集を組んだムック本というのがあって、二人が師弟関係にあったというのに驚いたことがあったが、森山も松江も平面的で、フレームの限定を超えるような画面構成をしているという意味では共通している。いかにも断片的な森山に対…

断写宣言

暑くて暑くて暑すぎる。 ということで、ここはひとつ、地球温暖化に抗議の意を表すべく断写を宣言することにする。 猛りつける日射と、それに呼応して輻射するアスファルト。その間にあって異議申し立てを行うどころかマゾヒスティックな共犯関係を続ける大…

私写真と#Me Too

荒木経惟のモデルからの告発に関して、何人かの評論家や研究者が写真家とモデルの雇用関係に問題を限定して、表現の質を分離しようとしているが、これは明らかに表現の質に関わっている。 自他未分化の混沌に、根源性や本来性を見出そうとするロマン主義的な…

General

デジタルカメラにも撮像素子やレンズといった物理的な制約があり、ダイナミックレンジや周辺光量など物理的な特性がある。 デジタル化の進化の方向性は、制約の除去と選択肢の多様化にあるが、その時点で生み出される工業製品は技術的、経済的な制約の産物と…

作家の表現スタイルが確立された場合、それをアルゴリズムとして特許登録をすれば、アルゴリズムの照合検査でエピゴーネンの摘発もしやすくなり、バリエーションを変えて一点物も量産できて商売しやすくなるんじゃない? 知らないけど(笑)

海と映画と国威発揚

「海と映画館と国威発揚」 波間は美しく永遠の相貌のもとに時間を無くし、常識を逸脱した長時間露光は時間の意味の喚起ではなく、その無常性を強調し、世過ぎのコレクションはノスタルジックな廃墟趣味を開陳する。 取るに足らない無価値な現実にアイロニカ…

東京の西に鳩は存在しない 鳩とはオリエントである

ここ半年ほど写真を撮りに行くのが億劫でしょうがない。 まぁ、でも、なぁ 笑 う〜ん...まあなぁ...

政治的写真

素材の選定・画角・被写界深度・コントラスト・彩度・シャープネス・ボケ・色収差 それら全ては画像の政治的ポリフォニーとして存在する。

郊外を撮るのもさすがに飽きてきているが、写真の出来はそう悪くないと思う。 だいたい自分はすぐにもう分かった、飽きた、無理、と思いがちなので実際の技能や理解とずれるんだろう。

自分とタイプの違う写真を見るのもあんまり良くないかな。 間接的に関わるのはいいけど、物事には適切な距離があるということ。 タコツボ化は批判されるべきだけど、フラット化も非現実的。スーパーフラットとかの戦略も文脈という選別と排除のものだし。

33年後の東京漂流

地殻があり、その上にアスファルトが敷かれ、コンクリートの構造物が建つ。人の手によるメンテナンスが薄くなったところには、忽ちのうちに植物が進出してゆき、その根はコンクリートを割り繁茂する。 カラフルな屋外広告は金の切れ目により更新されなくなり…

時間・歳月

量が質に転化するという森山テーゼがあるけど、時間や歳月というファクターも重要なのかもしれないと思うようになってきた。 撮影枚数に関しては色々なスタイルがあるようだけど、時間・歳月というものの持つ意味はあまり語られていないように思う。 アート…

カメラは工業技術の進展と共に生まれ、工業技術の高度化がカメラの性能を向上させてきた

カメラは工業技術の進展と共に生まれ、工業技術の高度化がカメラの性能を向上させてきた。 資本主義経済の進展は労働の質を変え、人々は一次産業から工場労働、サービス業、ホワイトカラーへと労働形態を変えてきた。 屋外で活動する、生活と労働が一体化し…

「明治・大正・昭和」中村光夫

「明治・大正・昭和」中村光夫事実というのは、科学的にいえば、現象にすぎません。科学は、ほんとうは現象の背後に法則を求めるものです。現象(事実)がそのまま真実であれば科学は不要であるといえます。我々の目にうつる通り、太陽が地球のまわりをまわ…

2010年の記事「カメラを持って外に出る」 4年経って何か「軌道」は見いだせただろうか。

自分の写真的営為が、今生において実を結ぶことがないことにさすがに気がついてきたので(笑)、それに見合ったPhoto Lifeが必要になってきた。

イメージ

イメージを手掛かりに世界に手を伸ばし、世界のありようというフィードバックがイメージを再構築する。 イメージのナルシシズムを抜きに関与は発生せず、ナルシシズムの解体を抜きに関係は発生しない。 そしてナルシシズムの再構築抜きに主体の保持はままな…

並置

自分の写真だけを見ているぶんには、まぁいいんじゃないかと思っても、他の人の写真の中に並置するとどうにもパッとしない。 まぁ、水準にないということなんだろうけど、でも、そんな並置世界での位置取りに焦点を絞るのもややキケン。出来不出来とはまた別…

最初のものがいい

同じ被写体を何枚も撮ることがあるけど、大抵最初のものがいい。 「被写体」を撮ってるのではないせいかもしれない。

マニュアルでピントを合わせたあと、時々AFに戻すのを忘れてそのままAFのつもりでいて失敗することがある。 今日がその日だ。 タイマーで自動的に戻るようにしてくれないかなぁ。気が付かないやつなんていないんだろうけど(笑)

D600が欲しいなぁと思いながらも、最近色々と入り用なので自粛中。 しかし、自粛を解くための理論武装の構築は怠ってはおらず、切っ掛け待ちの中指は既にenterキーに乗せられている。

自分にとって写真は長丁場で、まぁ、ぼちぼちやっていくしかないものだということが分かってきました(笑)

学生の頃、学校の授業でモノクロ写真の現像をしたことがあった。家にあった古い一眼レフを使って中之島辺りの橋なんかを撮った。 現像したときにモヤモヤとむらになったのが面白いといわれた。 課題で提出するポートフォリオを作るために、朝早く起きてマン…

住宅街の迷宮

自転車に乗って近所を撮影。 自転車に乗るのは年に数度しかないので、たまに乗るとその機動力に驚愕する。一方、撮影ポイントもビュンビュン現れては通り過ぎて行くので、歓喜と悔恨の交錯の頻度にもまた驚愕し続けることになる。 と、そんなことを思いなが…

先週は写真を撮りに行けなかったので、明日は行きたい。と、こんな気持ちになるのは珍しい。別に義務で撮りに行くわけではないし楽しみではあるけど、 写真を撮るということだけに気持ちがフォーカスされることは少ない。

気が楽なのでFotoblurによく投稿していたが、いつも的確なコメントくれる画家のMarilynさんが、あなたはart limitedというサイトが向いてるので、そっちにしたらどうかと言ってくれた。 この人以外にも写真を投稿するようになって、色々と親切にしてもらうこ…

資産

対象に対する関心。あるいは対象と撮影者の関係に対する関心。あるいは対象に対する撮影者の在り方に対する関心。あるいは撮影手法に対する関心。あるいは撮影という条件に対する関心。 あらゆる関心項目から見放された空虚から一歩を踏み出す時、絵として構…