絶滅

分岐点を迎えている。孤独死に至る道と、共同体としての死に至る道のY字路。とはいえ共同体としての死は見えない。見えないというより、或る時、見いださない生を選択している。ロストジェネレーションが強いられた救済対象としての孤独死であるなら、新人類は主体的な選択による孤独死だ。主体を否定して安穏としていられたものの主体否定。崩壊した関係と主体から始めるしかなかったネイティブな分裂と孤独死ではなく、関係の瓦解を願った主犯者の獄中死。

こんな、ひねくれたヒロイズムが一時の精神衛生に寄与するだけだとしても、社民主義的要求だけでも退屈。