「悲願に就いて」坂口安吾

「自らの実体を掴もうとして真実の光の方へ向かおうとすれば真実はもはや向いた方には見当たらなくなっていたというような、或いは逆に向き直ったところの自らが、向き直ったときには虚妄の自らに化していたというような、即ちこの悲劇的な精神文化の嫡男が悲願の正体であろう。」

「我々の時代の多くの若者がこの悲願に追われはじめている。この悲願を真に正しく押しつめることは甚だ難しいのだ。併しやがてこの悲願を正しく渡りきった向こう側から新しい文学が生まれてくるだろうと私は確信している。」