「艶華」中森明菜

演歌がメディアに露出しなくなって長い時間が経ったので、たまに食堂なんかで流れてくると軽くショックを受ける。
演歌、歌謡曲といっても色々あるけど、いわゆる演歌や歌謡曲などのネガティブな叙情性は、日本的心性として一般化されることがあるが、こういうセンチメンタルな叙情性が全面に出たものは、経済的にもっと厳しかった戦後直後や戦前にも見られない。それは経済的に復興を遂げた、あるゆとりの中で再提示され、共有されたものだったのだろう。そして、そこにある負のイメージは単に経済的なものであるというよりは、敗戦という刻印によっている。
こういったムーブメントが流行歌から消えたのは90年代以降で、グローバル化の波の中、戦後的共通感覚を可能にした、あるいはそれによってより効率を高めていった労働集約的な経済基盤の消失と、軌を一にしている。
中森明菜はその演歌を一種のコスプレとして歌いあげる。都会的でcoolな歌声で。あの「こぶし」を排して。
演歌がゆとりの中で再構成されたトラウマであったとしても、その外部性の刻印は「こぶし」を要請せざるを得なかった。しかし、ここではそこを回避することで「演歌」をファンタジーとして再体験可能なものにする。