世界と運動

キリスト教などの一神教は創造主が世界を構築しており、その信仰は世界が読み取り可能な構造を持つはずだと思念する。
正義を実現することが可能な世界が存在すると考えることが、社会運動を支える。
仏教は世界を無常とし、実体として認識すること自体を否定する。そこでは、自身の行いを律することが優先され、社会運動体を組織する動機は成立しにくい。