意味から乖離する「モノ」

写真は事物をフレーミングし、囲い込み、秩序立てる。それは極端なまでに暴力的であり、全体主義的な誘惑を持つ。
しかし、同時に写真は事物を現実の文脈から切り離し、意味から遊離する。それは次の瞬間には、家庭用アルバムに収められ、雑誌に掲載され、写真集にまとめ上げられ、美術館にキュレーションされ、文脈を付与されざるを得ない。だが、それでも尚且つ写真はそこに写っているモノたちを意味から隔離する。物が、風景が、人物が、その写実性を保ちながらも意味から乖離するなどということは写真においてしか有り得ない。ある種の宗教的境地を除けば。
被写体が、あまりに写実的でありながらも意味から乖離することに我々は耐え難い。また、その乖離はイノセンスで有り過ぎる。写真の持つ文脈への寄生力の強さと抵抗力の弱さは、このこととも関係している。