宙吊り

宙吊りに耐えるという「正論」はしかし、それをそのものとして生きれば社会性は瓦解する。
ゆらぎにアドバンテージを与える議論は往々にして日本的な自然観をベースにした価値の正当化と結びつく。
宙吊りを実践するのなら、そこには何らかの言語的基板が必要で、それがなければ実践の社会性は獲得し得ない。それすらも否定する「徹底さ」は結局自身のイノセンスの保守を最大の関心事としている。