スタイル

通常、信仰というのは神との互酬的な関係としてあり、信仰の見返りがないとき、その神は捨てられ別の神が信仰される。
ところが見返りが無いにもかかわらず、あるいは見返りが無いこと自体が信仰の根拠になるときがある。それが一神教なのだという。親鸞なども結果は問わずただ阿弥陀に没入する。
近代芸術は後者をスタイルの理念型としているように思われる。
現代人の信仰理解はキリスト教や仏教といった形態は文化的バイアスによる表現形態の違いであって、根底にはそれら文化的差異を超えた信仰の信仰性とでもいうるものが存在するはずだ、という信仰形態を取る。
芸術のスタイルというものはテクニックだろうか、テーマの選別だろうか。それらは単に「文化的差異」に過ぎないのだろうか。「根底」が存在するのだろうか。ただ、言えることはそれらは現に存在する作品から遡行的に見出されるということ。