「決闘写真論」篠山紀信 中平卓馬

「決闘写真論」篠山紀信 中平卓馬
以前からこの本のことは気にはなっていたが、たぶんモノのありのままの姿を晒せ、というようなもので中平の写真ほどには面白くないだろうと思って後回しにしていた。実際に読んでみると大抵のものがそうであるように、思っていたイメージよりはるかに豊かで丁寧な論が展開されている。ただ、今の時点で読んで驚かされる主張というものでもない。しかし、ここで主張されている内容よりも、中平が辿った軌跡と時代の軌跡のシンクロとすれ違いに興味がいく。
畠山直哉は80年代までは蔑称として「文学的」という言葉が使われていたが、現在ではそういうことは失くなったという。
ART iTインタヴュー
文学批判は当然写真界に限らずあらゆる領域で行われ、「貧しさ」を引き受け、「砂漠」の炎天下に、物語を喪失した比喩を寄せ付けない強度そのものとして屹立することがイメージとして語られた。こう見ると中平と時代は充分に寄り添っていたようにも見える。
畠山は、そういった短絡的な文学批判から、内実の伴った豊かさを回復するようになっていったとする。写真界でそういう言葉が使われていたのかどうかは分からないが、「身体性」という言葉が頻繁に使われるようになっていったのも同様の流れと軌を一にしているだろう。
中平は本書で次のようにいっている。
− 私は「アレブレ派の一人として自分の写真家としての仕事を開始した。それはいまから振り返ってみると、カメラを肉眼に近づけたいという衝動にかられてのことであった。ものを見る。それは普通われわれが誤ってそう考えているように、ただ目と網膜によってだけ見るのではない。見るとは身振りをふくめた身体の総動員をもってなされる行為である。だがカメラは四角いフレームである。それはただの約束事であるにすぎない。
− 私の「アレブレ」はこの約束事への焦立ちから、ある日ある時、なにかに出会ったその知覚の全体のざわめきを伝えたいために、強引にやったことのように思える。
− だがひとたびそのような写真を外に出してみると、それらの写真は私の記憶の豊かさに比べれば、やせ細った実にみすぼらしいものになってゆくのをいつも感じていた。
そこから、
− 予断を捨て、判断を停止して、まっすぐに事物をみつめよ
と考えるようになる。もちろん、中平は「事物」がそれ自体として存在しているとは考えない。あくまで観察する側とされる側の相克の中にのみ「事物」が浮かび上がると語り、そのことは中平の写真で実践されてゆく。
「文学的」な初期の写真は、世界の断片化のように見えながらも、それは全体性の獲得を目指すところから出発していた。そこで行われてた試行は現実に投げ出された時「やせ細る」事実に愕然とし、その事への抵抗の足掛かりとして、「私の記憶」を超えた、さらなる「全体性」を、さらなる断片化を推し進めた「事物」に見たのではないか。
文学から事物へ、ロマン主義からフォーマリズムへ、そしてその逆の流れへという時代の輪廻するムーブメントとは、中平の軸足は初めから異なっていたように思える。
どんな作家でも時代と完全に寄り添っているわけではく、ロマン派はロマン派のまま作品を作り続け、フォーマリストはフォーマリストのまま作り続け、その中で時代との折り合いを模索し、時代の寵児になったり、ならなかったりする。直感的なスナップからタイポロジーへの変化も、ドキュメントからシミュラクルなイメージへの変化も、時代への真摯な向き合い方だろう。しかし、中平はもっと愚直に世界と向かい合っているように思える。
「全体性」を、客観性を装った「約束事」を否定するところから出発した中平は、「事物」といっても関係性を手放すこと無く、向き合うこと自体の「全体性」を、イメージにもシニシズムにも韜晦にも絡め取られること無く、というよりもそれらを排した所にこそ、関係としての「全体性」が存在することを示しているように思える。
しかし、逆に言えば「時代」と向きあおうとするとき、イメージやシニシズムや韜晦は不可避であるともいえる。