黄金時代

アダムとイブが居て、調和のとれた欠けたもののない楽園があり、知恵の実を食べたことから堕落が始まった。
そんな幼年期の黄金時代は、事後的に想像される起源の神話としてある。
既存の秩序が脅かされる時、楽園の神話が生み出される。
そもそも、そんな秩序は存在していたのか。あるバランス、利害の拮抗点は存在したとしても、それが、そこの成員の十全な合意と平等な自由が確保されていたといえるだろうか。
想像の共同体の実践的な必要性を否定はしないが、それは常にプラグマティックな離合集散のある局面としてある。