同世代を見ていて、ずいぶん遠くまで来たなあと思うことが多くなった。
遠いというのは、もう引き返せないという意識からくる。違っちゃったんだということに、はたと気付いたという感じ。
違ったということは偶然であったような気もするし、必然であったような気もする。
しかし、違ったという事実はもう覆らない。この覆らないという感覚の前では、偶然も必然も取るに足らないことのように思う。
それを偶然と言おうが、必然と言おうが、違ったという事実の前では児戯に等しい。と、言うとちょっと観念的過ぎる。
覆らないという感覚、あるいは事実から様々な想念が出てくる。