「想像ラジオ」いとうせいこう

「想像ラジオ」いとうせいこう


想像することを語りかけ、想像しつづけるその人物は、生きているわれわれが想像する人物であり、そう想像しているのではないかと想像せざるを得ない想像としてある。
想像はナルシスティックな閉塞のようでもあり、閉塞を打破して跳躍を可能とするもののようでもある。
ラジオは、緊急時の唯一の情報源であったメディアであり、命綱としてあったものであり、一方でマーケットの言語の中で生きている、われわれの言語環境の如何ともし難い軽薄さの現れとしてもある。
戯曲ようなアレゴリカルな対話は、近代小説のリアリズムというまどろっこしさに収まらないストレートな主張への衝動と、エッセイや論文では描くことの難しい、逡巡すること自体を掬いあげようとする衝動から選び取らざるを得なかった形式だろう。
それら誠実さも軽薄さも含めた様々な種類の切実さに紐付けられた必然の組紐として、この小説は書かれ提示されている。