静かな夏という感触

去年は久しぶりに夏に実家に帰っていた。
子供の頃から住んでいた公団は空き部屋が増え、閑散とした気配が年々増している。
小学校と高校が一校づつ廃校になり他の学校に統合された。
団地から少し離れた場所にチェーン店のスーパーやドラッグストアが立ち並ぶようになったが、団地の中心にあったショッピングセンターは営業していないにも関わらず、建て替えられることも無くシャッター街と化している。
日本人の新規居住者は集まらず、中国人労働者が増え、古くからの居住者の彼等に対する反感ばかりが増幅されていっているようだった。
夏に帰ったのは十年振りくらいだっただろうか。
しんと静まり返った団地近辺を歩きながら、あるいは実家の部屋で過ごしながら、しかし、この静かさは自分の子供の頃の夏の記憶と結びついていることに気が付いた。
三十年前まではここにも子供が多くいた。
自分が小学校に入学した時のグラウンドには校舎に収容しきれない子供をを入れるプレハブの教室が立ち並び、後に小学校が新設された。
夏には結構盛大な盆踊りが二日間催されていた。
夜の公園にスクリーンが張られ、自治会主催の映画会でゴジララドンの映画を親や友達と見た。
商店街では金魚すくいやヨーヨー釣りや、カブトムシを売る出店などもあった。隣に住んでいた京子ちゃんは金魚すくいの達人で、金属のボウルを掬った金魚でいっぱいにしていた。
しかし、それでもやはり夏の記憶は静かだ。
広がる蓮畑を埋め立てて造られた公団が、私鉄の駅からも繁華街からも離れていたというのが、その静かさの立地的条件ではあっただろう。
今より若い人や子供が多かったとはいえ、夏休みの子供がうろつくような日中の住宅地にそう人は外出していない。
それらが、静かな夏という記憶の条件ではあるのかもしれない。しかしそれだけが、この記憶を構成しているわけではないだろう。
この静かな夏の記憶というものは、小学校の三年生と四年生の二年間に限られているものなのかもしれない。
小学二年生の冬に父親が死んで、五年生で親が再婚(とは言いがたいが)するまでの二年間を、エアポケットのような静かな記憶として収納しているのではないか。それは激烈なトラウマとその封印というよりは、ある種のモラトリアムの感触に近い。
再婚せず、そのまま片親であったなら、その二年間はモラトリアム的なものとしては記憶されなかっただろう。
そして自分にとってモラトリアム風に記憶されている二年間は、一人になった親にとって到底モラトリアムなどという心境では無かっただろう。
そういった時期をエアポケットとして記憶しているということは何を意味しているのだろうか。
それらのことも今年の夏は、もう確かめようもなくなった。
静かな夏という記憶。というより、そういった感触だけが確からしく残存している。