「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ

ハンナ・アーレント」 マルガレーテ・フォン・トロッタ


イェルサレムアイヒマン」発表後のバッシングや各種の反応が描かれる。
「ヒステリック」な反発を示すユダヤ人や、熱狂的な喝采を送る学生などの他に、アーレントの旧友による批判がある。妥協を一切しない白熱した議論を戦わせながらも、議論を離れれば互いの健康や近況を気遣う間柄の友人達も、ナチス政権下のユダヤ人指導者が行ったナチス協力を指摘するアーレントの記事を許容することができず彼女から離れてゆく。そのことをこの映画では他の狭量なバッシングとは質の違う批判として描く。
「同胞」を傷つけることをどうしても許容できない友人は、アーレントにもう少し分別があるものだと期待していたと非難する。強制収容所に送られた600万の同胞への配慮が欠けているという。これは彼女の友人の言った言葉では無かったかもしれないが、アーレントアイヒマン裁判を哲学論文にしていると批判する。
歴史的にはアーレントは正しかったのかもしれない。しかし、この種の“真摯な誤読”の避けようのなさも間違っていたとは言えない。
エルサレムの友人宅に招かれて、自分は若いころお金がなくて子供を作れなかった、金ができた頃には年齢的に手遅れだったと笑い、友人の家族の女性はお金がなくても子供は作れるという。
アーレントは自分はユダヤ人を愛するのではなく友達を愛するのだという。
恋愛を核に据える世界と、家族を核に据える世界。友人としての関係と、同胞の絆。