2013年

今年も残す所3日となった。
21世紀ももう13年が過ぎた。未来の象徴であったあの21世紀が、である。
毎年毎年多くのことが起こり、様々な事態に直面し、都度乗り切ったといえるのかどうか、兎にも角にも今日に至り、今ここにこうして生存している。
あらゆることが去来しては、失念してゆく。
今年はどんな年だっただろうか。
「2013」。
ワタクシついにこの数字に馴染めないまま、この1年を過ごすこととなった。
何故であろうか、あらゆる種類の書類に記載する時、私の筆は、あるいはキーボードは、ついぞ平成25年、皇紀2673年のこの年を、「2013」と記載することに馴致するということがなかった。
例年、年始の西暦記載ミスは、正月ボケという笑い話の種として機能する。冬も過ぎ、黄金週間の到来に生存のモチベーションの全てが傾く頃なら苦笑の失敗ネタとして活用可能だ。夏なら夏バテ、秋は芸術として、それは回収可能でもあった。
しかし、押し詰まった感満載の時期に現出するそれは戦慄のメロディーをさえ奏で始める。
先日も会社で購入したwindows pcの保証書に「2012年」と記載した。すかさず自他ともに認める得意の機転を働かせて、間一髪保証期間の365日分を水泡に帰しかねない危機的状況を回避し得たが、「2013」への拒絶の根の深さに震撼とした。
2013年12月26日の出来事だ。それは奇しくもフリードリッヒ2世が生まれ、毛沢東が誕生し、石野卓球が出産された生誕日であった。
何を持って「奇しくも」なのか、筆者をして見当のつかないその問いをもって年末の挨拶に変えさせて頂くこととしたい。