「ホーリー・モーターズ」レオス・カラックス

ホーリー・モーターズレオス・カラックス
スタイリッシュな疾走やグロテスクな怪人をフェイクとして演じながら、この人にとってのリアリティは、その合間に現れる取りつく島もないような孤絶感だけなんじゃないかと思えてくる。
それは自分の関心に引き寄せすぎた見方で、そこだけに還元すべきではないのかもしれないが、他の作品も含めカラックスの映画の質を決定しているキーポイントはそこにあるだろうと思っている。
それはブルジュワジーの近代的自我というようなものではなくて、プロレタリアートの身も蓋もない底の抜けた何か。
ブルジョアの自己否定としての大衆的ドンチャン騒ぎでもなく、革命のネタとして見出されるSoulとしての恨み節、怨歌でもなく、形容以前の誰からも相手にされない底の抜けた何か。