33年後の東京漂流

地殻があり、その上にアスファルトが敷かれ、コンクリートの構造物が建つ。人の手によるメンテナンスが薄くなったところには、忽ちのうちに植物が進出してゆき、その根はコンクリートを割り繁茂する。
カラフルな屋外広告は金の切れ目により更新されなくなり、夏の紫外線はペンキを退色させてゆく。
80年代前半の郊外を扱った本に藤原新也の「東京漂流」がある。
ここで言及されていた、日本人が古来持っていた人と自然との関係が、自然の制御が可能となっていくなかで人と人との関係が前景化してきたという指摘は、3.11以降またもとの人と自然の関係にウエイトが変わりつつある。
この本では「戦後38年」という言葉が幾度となく出てくるが、それからさらに32年がたった。
戦後70年の前半の濃密さと後半の空虚さの対象に愕然とする。
バブル以前の中流意識グローバリズムとともに霧消し、「恵まれない子供達」に募金活動するニューファミリーの健全な薄気味悪さは、ヘイトスピーチのあからさまな差別表現へと変貌。深夜人知れず毒饅頭で処分されていた野犬は限界集落を闊歩するようになった。
それらは「東京漂流」を超えた現象であるというよりは、40年体制といわれる総動員体制が機能不全を起こし退潮して露になったものだ。