「神々のたそがれ」アレクセイ・ゲルマン

「神々のたそがれ」アレクセイ・ゲルマン
最も最悪な世界が、最も高貴に描き出される。醜こそが美ということではなく、最悪さが最悪のまま摂理のように見えてくるという意味で高貴である。
この映画を見たところで何か新しい知見が得られるわけでもなく、時代の精神に触れられるわけでもない。映画史上の革新がある訳でもない。
知性も美も欠いた、ただただ醜悪なだけの世界というのもSFというエクスキューズがあったとしても本当はあまりリアリティがないはずだが、長大な一編の詩として、あるものの表象としてではなく、アレゴリーであることから離れたとしても成立しうるのではないかと思わせるような、ひとつの現実・宇宙として屹立する。