ハトの写真を撮ろうと出かけたが、近所の井之頭公園と小金井公園には1羽もいなかった。
この社会が、ここまでハトを排撃していたことに震撼とせざるを得ない。
われわれの快適な居住空間は、その精緻なアーキテクチャーの操作を通じて、「ハト狩り」というセンセーショナルな手法を回避しながらも、実に効果的に、そして滞りなくこの都市空間からハトというストレンジャーを排除せしめていたのだ。
平和と糞害の、象徴と実利の、その間においてイメージの悪魔化という不穏なコンフリクトを経ることなく、沿線の不動産価値の向上を成し遂げていたのである。
わたしが何故ここまで憤激しているのか。それは、多くの市民の幸福感が溢れかえる人気公園を二ヶ所も経巡るとい行為の論理的帰結としての自身の立ち位置の再確認と、釣果ゼロいう現実の転嫁であることは論を待たないのである。