Eli, Eli, Lema Sabachthani?

衝撃的な事態に直面して以来一月経った現在も立ち直れないばかりか、立ち直る気配も見られず、そもそも立ち直るということがどういうことであったのかさえ五里霧中のかなたに霧散しつつある状況でボーゼンジシツの事態に立ち至っている。

災いに見舞われたとき、多神教の民は既存の神を捨てて新たな神を召喚し、一神教徒なら神の意思を見出さんと煩悶するだろう。

SONTAKUがdefaultと化した現代日本政治の風景は、神の遺棄という方途を失ったが故に一神教徒の様相を呈しているといえるだろうか。

失われた空白の中でデカダンスの華々しさに砕け散るという作法を身に付けていない以上、日々刻々と訪れるルーティーンに向き合うことを唯一の拠り所とする。そうしてみると生活と仕事が要請するこのルーティーンというものの存在感に目を見張ることとなる。人はそれをリアリズムと呼ぶ。

ルーティーンは時間を区切り、空間に意味を与え、オールインワンなセットメニューの効率と効能を付与する。中国四千年の中華セットか和魂洋才の洋食メニューか、セットメニューにも歴史と文化の外部性が織り込まれていると思い込みたいところだが、われわれが住む世界のそれはネオリベラリズム唯一神とする資本主義リアリズムである。多神教の神々はすでに神仏習合されており、神々は唯一神の先兵として変幻自在に遣わされている。