ヤマルーブ カーボンクリーナー投入

走行距離が1万キロ近くになったので、ヤマルーブのカーボンクリーナーを投入。

投入直後その日はそのまま帰宅。

翌週プリマベーラのエンジンを始動し、50kmほど走行した頃から明らかにエンジンの調子が変わった。それまで「ババババー」というオノマトペが相応しかった排気音が「ドルルルー」に変わり、スピードの乗りも違う。加減速のドンツキ的な挙動が減少した車体姿勢の運動特性の変化により、コーナーを含めたフットワークも軽快になり、サスペンションの路面追従特性もそのことが作用してしなやかに作動。ライディング体験の質は実にcomfortableなものとなった。

しかし、その翌週はなにやらギクシャク感が発生。排気音の唸りに実加速が見合わずに足元もバタバタする。

とはいえその次のVespaのcomfortabilityは回復しており前回の悪印象の迷妄は葬り去られる。

そういった体験を幾度か繰り返すうちに、これは道具の機械的特性とは別の操作の主体たるライダー側のある種のバイオリズム的な、生命体としての運動特性いわゆる体調と巷間いわれるところの問題との相関関係も主題に登るようになってきた。

肉体のコントロールがスムーズでないのなら、アクセルの開閉にもバイクの倒し込みにも影響はあるだろう。

確かに内燃機関に蓄積したカーボンデポジットは除去すべき対象ではあるのだろう。しかし同様に肉体に蓄積した乳酸の除去も考慮に入れるべき事柄であるらしいことが朧げながら浮かび上がってきたのだ。

カーボン除去剤の効果はプラシーボであるのか。youtubeにはシリンダー内部のカーボンが減少していく様子を撮影した動画もあるではないか。あるいはそんな「検証」が要請されること自体が効果の実態把握の難しさを物語っているといえるのだろうか。しかしその添加を通じて操作主体の問題も前景化したのだから、そういう意味では効果をもたらしたともいえるのではないか。

信という行為は救済をもたらすという。それは信によって動悸づけられた行為が世界の変革を可能とするケースもあれば、信が現状の合理化という形をとることで「救済」が可能となるケースもある。

エンジン添加物の類に纏わりつく、専門的知見からの推奨という権威付けと、ブルシットジョブから派生した商品ではないかという疑念の問題に対して我々の多くは、IWASHI headな「お守り」という留保付き宙吊り指定席を与える。