10年前に同時に入社した唯一の同僚が、今日で出向になった。

最後に数人で立ち話をしたが、自分は話す気になれず、ほとんど会話をしなかったが、彼が退社した後、仕事をしていると急に込上げてきて仕事が続けられなくなった。

出向の発表を聞いたときも、壮行会で彼が思いを語ったときにも、それほど大きな動揺も、感銘も受けなかったのだが、今日は、次から次へとある感情が込上げてきた。

前向きな感情と言える物ではないが、しかし単に悔恨や寂しさというものではない、ある思いが、未分化な塊として激しく湧き上がってくる感覚。万感とはこういうものなのかもしれない。

こんな感情に突き動かされている自分を揶揄してみたり、理解のある態度で自分をなだめてみたりしても、激情は止まらない。理性は理性として事態を眺めながら、感情は違う次元で運動を続ける。堰を切るということが実在する。走馬灯のように過去の出来事がめぐるという訳ではない。ただ、形容不能な感情がある。前向きなものではないにしろ、不快なものでもない。

出向する側の彼には、もっと忸怩たる感情があるだろう。不快なものではない、などという感想はいい気なものかもしれない。しかし、これが同じ年月と環境を過ごした人間でも、別の人物であれば、また別の感情があるに違いない。この、ある豊かなものを含む感情は、彼の人格を抜いて得られるものではない。

この瞬間を得られただけで、この10年は実り豊かなものであった。