「ほしのこえ」 新海誠

短編を作るとき、その制約の中で作品を成立させるためには、大きなドラマの展開を断念して、小ぶりな空間や時間を選択するか、描写を排し、象徴や寓話に情報を圧縮するという選択がある。おおむね後者に属する詩は、その外にある物語に依存することで成立するが、物語といってもそれは社会が持つ共通認識といったようなもので、明示的に指し示されるものではない。このアニメの持つ象徴の依存先は、学校生活であったり、世代的なアニメ体験といった社会的な共通感覚であると同時に、一方で、ありうべき本編とでも言い得る何かでもあろう。予告編のように作られたこのアニメは、ダイレクトに社会的な共通認識と結びつくより、一度ありうべき本編の予告編として存在し、鑑賞者が想像された本編を共有することで、受容が成立しているように思う。