うどん好き

最近にわかに、うどん好きになってしまった。

子供の頃は大阪出身ということからくるものなのか、アレルギー体質のせいか、うどんが好きで、そばは嫌いだった。それが20歳代半ばから、180度の舞台転換が起きて、そば好きになり、同時にうどんに何の意味も見出せなくなった。まずいというより、こんな小麦粉の塊、それも麺を標榜するには、あまりに広大な断面積を有するそのロープ状の物体を食物として口腔内で咀嚼しなければならない理由が失われ、私の食品のカテゴリーからはdeleteされていた。

それが20年の時を隔て、その存在を魅惑的なものとして再登場を果たしてきた。

yaku-yearを華麗にクリアーしたことへの恩寵として、genten回帰のステージが与えられたのだろうか。

私の中の雅が、蕎麦などという東蛮異文化を通過した後にのみ現れる、アウフヘーベンを果たし、より振幅を増した強固なものとして、新たに生まれ出でたに違いない。

うどんが雅かどうかはさておき、かつて、ある思想家はこう言った。

歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

fakeな喜劇人生が今まさに、始まっている。