建国記念の日

太宰治は「斜陽」のなかで、登場人物の直治に次のセリフを言わせている。

人間は、みな、同じものだ。
なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは働く者の優位を主張する。同じものだなどとは言わぬ。民主々義は、個人の尊重を主張する。同じものだなどとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれをいう。「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか。」なぜ、同じだというのか。優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。

文化と言われる物には、一定の価値の体系があり、優先順位の序列があり、価値の優劣があり、そこには、選別と排除がある。

その価値体系の質を上げ、排除されたものに再編入の機会を与え、優秀とされる価値を複数化して多様性を確保し、価値体系の硬直化を防ぎ、柔軟で豊かな文化を作り上げたとしても、選別と排除という構図そのものは無くならない。
何でも受け入れる平等な社会などは、子供の夢想にすぎない。そもそも、そんなことは成り立ちようもない。一見そんな平等が成り立っているように見えるものがあったとしても、それは別種の選別によるものだと見なければならない。

文化は序列なのだ。

ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ