あにさぁん、恋は遠い日のタコがねぇ〜

youtubeサントリー樹氷オールド などの昔のCMを見ていたら田中裕子が好きになってしまった。
今まで田中裕子を意識に上らせる人生とは無縁であったが、恋とはそんなものだ。鷲掴みという。認識は遅れとともにある。事態を把握したとき、すでにまるごと捕捉されている。
そこで、さっそく「ホタル」、「天城越え」、「虹をつかむ男」、「火火」、「夜叉」を鑑賞。

ンフフ…。女優としての田中裕子?そんな姑息な関心ではない。ただ裕子に会いたいだけだ。見たい、ではない。会いたいのだ。アイドル映画を見る女子高生となんら変わりがない。こういう溺愛を前にしては、監督で映画を見るなどという行為がいかにセカンド・オピニオンでしかないかが鮮明に見えてくる。監督の仕事は俳優(というか裕子)をいかに魅惑的にするかであって、映画のために役者(というか裕子)がいるのではない。映画というテクノロジーが女優(というか裕子)を生んだのではなく、裕子が現出するためにこそ映画は発明されたのだ。

それにしても「天城越え」。作り手も演者も含めて、田中裕子一人だけが水準を超えているために、完璧なまでに田中裕子のためにだけ(つまり私のためにだけ)あるという凄まじい映画。いや、いくらなんでも贔屓目が過ぎるという批判は、それがたとえ正鵠を得ていようとも無意味である。田中裕子の映画を私が見るというとき、他の出演陣はもとより、裏方であることに安穏としているスタッフをも含め、全ての関係者はアウェーでの戦いを覚悟すべきなのである。