映画「火火」 ー信楽のこと

火火」という信楽で活動する女性陶芸家を描いた映画を見ていて、昔、信楽に行った事を思い出した。

火火」は実在する女性陶芸家がモデルで、初の女性窯元であることの困難や、困窮した生活、息子の白血病の発症、闘病と骨髄バンク設立への活動を描いた映画。

20年以上前になるが、大阪に住んでいたころ、よくオフロードバイクで山を走っていた。いつも行く場所を決めず、何となくブラブラする形で、あちこち思いつくままに林道に入るということをしていた。思いがけない光景に出くわすことが面白くて、普通はバイクで入っていかないような枝道に入っては、谷底に転落しそうになったり、バイクをこかして、坂が急なためにその場で起こすこができず、平らな道のところまでバイクを引きずり降ろしたりなんてことをして楽しんでいた。
信楽に行ったときも、そんな感じで偶然訪れた。狭い林道をくねりながら走っていて、急に開けたのが風光明媚な信楽の里だったため、桃源郷のような印象を持った。初夏のよく晴れた日で、バイクの速度を人が歩くような速度まで落とし、顔を覆うオフロード用のゴーグルとプロテクターを外して、牧歌的な光景の中をトットトットッ、と225cc、4ストロークシングルエンジンの鼓動と、初夏の清々しい空気を楽しみながら走っていた。隣にグラウンドのある神社にバイクを止め、タバコを一服しながら、その美しい風景を眺めた。
...と、それだけの想い出なのだが、二十歳過ぎのフリーターがノーテンキに呆けた愉悦に浸っているその時に、そこの場所で、この「火火」に描かれていることが行われていたということに感慨を持つ。もちろん同時代に様々なことが進行していることは当たり前のことではあるけど、それを感慨という形で認識することは、また別のことだろう。

時々こういう感慨を持つことがある。今、住んでいる東京武蔵野市の隣の三鷹市で、つい最近、死の直前まで旺盛な創作をしていたという画家の桜井浜江。年老いてなお、中野の風呂なし安アパートで苦闘した前衛生花の中川幸夫。よく行く小金井公園でホームレスをしていた漫画家、吾妻ひでお

自分が住んでいる、すぐ近くで、ついこの間まで、あぁ、そうだったのかというような感慨は、物語化された単純な情報に基づいた感傷でしかないだろうけど、ひとつワンクッションをおいて単純化することで得られるものというものも、無いわけではないだろう。

役者を見たくて映画を見て、映画自体を楽しんで、描かれている題材から、ある感慨を紡ぎだす。シンプルなスパイラルです。