「表層批評宣言」蓮見重彦

なんとなく、昔読んだ「表層批評宣言」を引っ張り出して読んでいたら、下の文章に感心した。

「今生きているという事実に自明の手ごたえ」を感じつつあるものこそが、なおも世界へと向けておのれ自身を旺盛におし広げ、世界との無媒介的な合一感をくまなく玩味しつくしている瞬間に、「制度」とは無限に離れた地点から発せられる未知の声として、「問い」と「答え」とを同時的に生きるといった事件こそが、真実の「問い」なのだ。「問い」とは、「制度」的な言葉によってあらかじめ抽象空間に設置されているものではなく、予想だにしない時空に、過去の体験を超えた言葉として、それを口にする者自身を驚かせるやり方で不意にかたちづくられ、しかも「答え」そのものを裡に含んだものなのであり、その不意撃ちが存在を崩壊へと導くことはあっても、存在の崩壊感覚が「問い」を招きよせることなど断じてありえはしない。

「今生きているという事実に自明の手ごたえがあるならば、誰もその意味をことさら問うたりあげつらったりしようとは思うまい」と書いてしまうことの抽象性が、途方もなく貧しいのだ。