畜生

ペットのことを畜生と言う人はいないと思うけど、自分の親の親、おじいさん、おばあさん辺りの世代、あるいはその辺りの時代にはそういう言葉を使う感覚があったような気が、漠然とだけどする。
犬や猫の自身の利害の為だけに振舞う仕草を、イノセントの現れだと捉えるのがペット愛好家だけど、それを蔑み、こういうところが畜生だと唾棄する視点。今でも動物嫌いの人はいるけど、そういう関係の断ち方とはまた違う。
両方共、あまりに人間的な基準で見すぎているという点では同じだともいえるし、ペット愛好家にしても実際にはイノセンス振りを溺愛しているわけでもないだろうけど、それを公然と畜生と切って捨てる言語感覚は現代にはない。
近代的家族像、近代的児童像の変遷現象のバリエーションとも言えるのだろう。