稲川淳二 -語り手であること-

怪談の名手、稲川淳二は彼の持つ何とも卑しい佇まいが、そのポジションを不動のものにしている。
怪談、ホラーというものは、身体に重傷を負った者、極度のストレスから精神の均衡を崩した者を、蔑視して面白がるという極めて単純な差別感情を娯楽にしたものだが、そこにも一定の真実が内包されていることも事実であり、それの享受者達の視線は、そこで語られる怪談話に向ける視線と同様の、蔑視と恐怖とある種の畏敬を、彼岸と此岸の媒介者でもある語り手にも向ける。此岸の価値基準から少しずれる事、彼岸の基準にも片足を架けているらしく見えること。その架けている足元には、怨嗟に満ちた封印されるべき世界が広がっていること。この卑しくも畏怖すべき語り手の条件を稲川淳二は体現している。