ADSL終了

niftyADSLを止めると言い出したので光回線への変更を検討。不動産管理会社に確認したところ居住する集合住宅は、光テクノロジーによるインターネット利用を可能としているという。工事は電話線の口から太めのコードを挿入して差し込み口をひと口増やしただけで3〜40分で終わった。工事というのがどういうものなのかを調べようとネットをみたり回線事業者に聞いてみても判然としない。プロバイダーがADSLを止めたいとまで言い出す昨今にあって、集合住宅の光テクノロジー化はすでに完成の域に達しているとみて然るべきだろう。なのに光回線工事がやけに大工事であるかのような、あやふやな情報ばかりが氾濫する世情はリスクマネージメントに汲々とする安心安全化社会の反映に違いない。そんな改修工事などに掛かった時間よりもはるかに膨大な時間と労力を室内の清掃(大掃除と表記してもよいくらいだ)と片付け(隠匿という表記のほうが実情をよく表現している)に費やした。

その費用対効果はADSL時代には頻繁に途切れていたradikoで聴取するRADIO DONUTSを、一度もブラウザーをreloadすることなく完聴しきったことで満足している。

ADSL専用回線と化していた固定電話の解約をNTT東日本に申し込んだのち、それの確認の電話があった。確認のルーティーン作業が完了して最後に、長きに渡っってご利用ありがとうございました、というこれもまたルーティーンであるはずの言葉を耳にしたとき、確かに長きにわたって使ってたのだとちょっとした感慨も起きた。

共同トイレの安アパートに電話を引くために仲介業を呼んだときに、たまたま居合わせたのがつげ義春の「無能の人」のモデルになった人で、こんな業者に頼むよりもっと安い方法があると業者の前で言われて困惑したことや、連絡手段ができて親が安堵したことなど、いい思い出なのか何なのかはわからないけど、それなりの感慨も付随するものであることに軽く驚愕している。