仲ナヲリの発見

もう20年くらい前になるだろうか、NHKの歴史番組でロシアに漂流した日本人が紹介されていた。検索して調べてみると、たぶんそれは初めて露日辞典(というよりスラブ語‐薩摩弁辞典らしい)を編纂した「ゴンザ」という人物を紹介したものだったのではなかったかと思う。
その番組で、その露日辞典の内容が写っていた。それが本物の辞書の映像だったのか、イメージとして再現されたものだったのかも思い出せないけど、そこにあった訳に、ちょっと感銘したことがあった。
「Мир=仲ナヲリ」
確かこんな感じで、ロシア語の「平和」にあたる単語に「仲ナヲリ」をふっていた。この翻訳の映像は、番組の内容と関係が無く、たまたま映っていただけだったのか、番組自体がその翻訳に意味を持たせていたのかどうかも忘れてしまったけど、強く印象に残っている。

ゴンザが、適当な言葉を選んでいないだけかもしれない。ロシア語の「平和」にあたる言葉に、このようなニュアンスがあるのかどうかも自分には分からない。しかし、その翻訳の是非はともかく、「平和」といわれている事態を外側から眺めてみれば、そこにあるのは、絶え間のない対立と和解の繰り返しであり、少しでも注視すれば、葛藤の無い無風状態を目撃することのほうが難しいはずだ。
「平和」といわれる事態を眺めたゴンザに、それが「仲ナヲリ」と見えたのは当然のことだったのではないか。というようなことを考えて感動していた。

今となっては特別ココロ動かされる考えでもないように思えてしまうけど、当時の自分にとって、それはそれなりに意味のある発見だった。その発見とは「平和」の内実が利害相反の現場でしかないという暴露ではなく、また、利害相反を乗り越えて築かれる真の和解というものでもなく、直接の利害相反を包摂する次元での利害の一致を見出す知恵、そしてその知恵を引き出す意志のことを含意していたのだと思う。