身辺雑記/ゼロ記号

「断片的なものの社会学」という本を読んだ時、私小説だなと思った。
私小説といっても色々だけど、私小説の特徴の一つに、物事から物語りや意味付けを排して「断片的なもの」として等置していくということがある思う。
その時唯一のリアリティは書き手が存在するということにだけにあり、その周辺で起きることがらだけを対象とする「身辺雑記」が、真実らしきものになるという装置。
ある真実を浮かび上がらせるために断片を拾い集めるということではなく、未だ目標を設定しきれないが胎動の予兆をはらんだ習作としてでもなく、どんな言説からもこぼれ落ちるということを強調するために収集される断片。
それら意味に回収される以前の断片は、その断片を共感できる共感可能性の共有を目的としており、それは理念や目標としてではなく、ゼロ記号としての可視化の要請に結びつく。