日記・つぶやき

NHK「ミクロの大冒険」という番組で、角田光代と野田英樹が科学者に感心する馬鹿の役をやってたけど、作家にこんな役をするのもどうかと思う。 同じ馬鹿役でも松島尚美は芸人として場を作るからいいけど、角田と野田の芸のない馬鹿役は作家総体への冒涜だと…

シマウマ

朝日新聞の記事。 シマウマのしま模様に関する論文の記事で、記事の内容も興味深いけど写真の下に付けられたキャプション「シマウマ」の必要のない丁寧さが、なんか可愛い(笑)

グルメ・家計

最近にわかにチーズが好きになって毎日食べている。 チーズグルメ道を邁進するかに見えた私の味覚は、試行錯誤の末に雪印6Pに最適解を見いだした。 大増税を期に、安い味覚という存在様式は、家計というもう一人の主体を救済したのである。

浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか

浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか 浅田彰という人の風通しの良さは何だろう。久しぶりに見ると改めて思う。

2013年

今年も残す所3日となった。 21世紀ももう13年が過ぎた。未来の象徴であったあの21世紀が、である。 毎年毎年多くのことが起こり、様々な事態に直面し、都度乗り切ったといえるのかどうか、兎にも角にも今日に至り、今ここにこうして生存している。 あらゆる…

iTunesからスガシカオが流れてきた時、facebookにスガシカオの広告が出た。 あれ?連動してるのか、と思った。 もはやネットは関係妄想。

ワタクシの祈り

あついあついと、観測史上なんとかといい、Hurricaneが立て続けに藤原のなんとかと人にあらずのように言い立てて、挙句の寒気に悪寒が走り、昼休みの貴重なTimeをさいて、CONTAC一日二回のワタクシ御用達をYakkyokuに訴えたところ、葛根湯が御前にはお似合い…

抑制と表出、自身の立ち位置、目的とするものの変更、落とし所、 そのバランスの組み換え作業。

全ては白日の下にある。同時に全ては利害の力学の下にある。 利害を括弧に入れた理解と、理解を括弧に入れた利害が交錯する。

最近は仕事帰りにJR中野駅で晩御飯を食べる。 中野というのは特に気にしたこともなかったけど、乗り換え駅なので一旦降りるには都合がいいのでご飯を食べるのにまぁいいかなと寄るようになった。 これが定食屋も多いしなかなかいい。たまには飲み屋に入るこ…

フロ掃除をしてスッキリするたびに、毎週掃除するという誓いを立てている。

もやもやと動き出しているものを言葉にしてはいけない。

実家に帰るとTVのバラエティばっかり見る。 家ではTVはあまり見る気になれないけど、実家だとバラエティ以外見る気にならない。

マニュアルでピントを合わせたあと、時々AFに戻すのを忘れてそのままAFのつもりでいて失敗することがある。 今日がその日だ。 タイマーで自動的に戻るようにしてくれないかなぁ。気が付かないやつなんていないんだろうけど(笑)

一日が飛ぶように過ぎてゆく。

自然体、しなやかさ、親密さ、ささやかな幸福、シニシズム、ミミズの生活

住宅街の迷宮

自転車に乗って近所を撮影。 自転車に乗るのは年に数度しかないので、たまに乗るとその機動力に驚愕する。一方、撮影ポイントもビュンビュン現れては通り過ぎて行くので、歓喜と悔恨の交錯の頻度にもまた驚愕し続けることになる。 と、そんなことを思いなが…

掛けている労力とコストの差も考慮すべきだった。 そこを飛ばして関係も何もない。物事には手順なりルートなりがある。

仕事帰りに一人でふらっと入れる飲み屋というのは、自分にはなかなか無いので、偶然見つけるとそこばっかり行くことになる。 以前は西荻の店だったが、そこが無くなったので今は中野の居酒屋。西荻の店と中野の店に特に共通するものはない。

切通しの坂 …に似てると思ったけど全然違った。

同世代を見ていて、ずいぶん遠くまで来たなあと思うことが多くなった。 遠いというのは、もう引き返せないという意識からくる。違っちゃったんだということに、はたと気付いたという感じ。 違ったということは偶然であったような気もするし、必然であったよ…

リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます

リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます 好きでよく読む「nifty Daily Poltal」。特に面白かった記事。 笑えるけど、作っていく時の心理とか、当初の目的から離れた創作の自律的な運動とか、そういう含みも面白い。 それにしても「悲しみのサグラダファ…

最近、自炊(といってもほぼご飯を炊くだけ)するようになった。 そうすると、ちょっと酒の肴が欲しいと思っても、出来合いのものを買う前に、家にあるアレとアレをこうすればいいな、とか思うようになった。 調理など選ばれた者にだけ与えられた恩寵だと、…

断絶が至る所にある。 アイデンティファイが分断を産み、住み分けの不毛さに行き着く。

真に関心のあるものだけを対象にすべきなのだろう。 そこを離れて見出されたものに、たぶん意義あるものは生まれない。 自分がどこに立ってものを見ているか、どういう関係の中でものを考えているか。

自分をどう位置付けるか、という課題に直面している。 自分を受け入れる以外の選択肢はないが、どう位置付けるかに逡巡、というか…。

「宇宙戦艦ヤマト」って1974年放送開始なの? え?リアルタイムで見ていた気になってたけど、あれは再放送だったのか? ああ…そう…。

終点の三鷹駅で寝てたら女の人に肩をトントンと叩かれて起こしてもらった。 最近はあんまりないけど、以前はちょくちょくこういうことがあった。 こういう親切は9割方おばさん。 豪快なおばさんに、膝をパーンと強めにはたかれて起こされたこともある(笑) …

昔見た夢を思い出すことがある。 ある独特の情感と共に記憶されている場所が、記憶の縁から顔をのぞかせる。 それは記憶という次元において現実のそれと判別する基準を持たない。