「サウダーヂ」

社会の悪循環の輪廻を経巡る映画は数々あるが、これほど多様な人物と、それぞれが寄って立つ経済的基盤を重層的に描き込んだものはそうはない。土方、ヒップホップミュージシャン、キャバクラ嬢、デリヘル経営者、外国人労働者、イベントプロモーターもどき等々、それらの人物を徹底して散文的に、冷徹に、そして共感的に描いてゆく。
様々な人物が描かれるこの映画で唯一、若いラッパーの弟が引き籠り型の人物として、他の人物とは異なる類型として置かれる。この映画に登場する人物は皆アクティビストで、外部に積極的に働きかけていくタイプの人物達であるが、同時にそれぞれは過度に妄想的であることが示される。アクティビストのラッパーの妄想の背中を後押して、現実のものとするのは彼の引き籠りの弟の妄想である。壊れた基板の上にある者たちは、アクティビストであれ、引き籠りであれ、その想念は妄想化する。
妄想と書いたが、本当はそれを簡単に妄想というべきではないし、この映画でもそう単純化されているわけではない。想念は経済的な条件と不可分な希望であり、知恵であり、そして妄想でもある。