写真とリアルと

写真にとってのリアルさの揺らぎは今に始まったことではなく、いつも問題になっているのはリアルなものとして社会的に位置づけられるという現象の方だろう。

有名な戦場写真が演出であるとか、水平線に近接する雲の塊は存在しえないとか、一枚の写真が文脈によって意味づけが正反対に機能するとか、写真週刊誌は言語による写真の支配であったとか、常に写真の真偽は疑問に付され続けてきた。

共同性の物語に回収されることを拒み、その物理的特性の操作によって抵抗・自立を目指した試みは、デジタル写真によって一エフェクトとしてイメージ化され消費される。AIによる画像生成技術は存在しないものをリアルなものとして提示する。

写真のデジタル化とAIによる操作は、写真の持つ「リアルさ」という社会的な通念の消失であって、写真そのものは、いつの時代も常に社会通念に投げ出された一片の画像でしかありえなかった。

写真のリアルさという社会通念が殲滅するのかどうかはともかく、それが弱まることと、一片の画像がエクリチュールであることの露呈の強化は並走してゆく。