「NIWA」横山裕一

記号化された人物達が謎の庭園を探索して行く。淡々と“調査”を続ける人物たちは、時々わぁーと群集に変化してそれまでの均質な時間と空間に波動を生み出す。しかしそれはカタルシスを生み出すことはなく、また元の探索を続ける。不可解さは解消されることなく、次の不可解さに取って変わられてゆく。世界解釈は統合されず、エピソードはぶつ切りにされ、編集の妙などに何の関心も示すこともなく挿入される。
この種のアレゴリーにありがちなシニシズムからも告発からも遠く、哀切からも遠い。そして市場のイデオローグからも遠い。遠いというのは無縁という事ではない。しかし、どれにも落ち込まない。解釈の統合不能性を示すことが目指されているわけでもない。統合やカタルシスへの契機を無視してはいない。それらの欲求を抱え込みながら、彼らは探索を続ける。その探索は強いられたプログラムのようにも見え、強靭な意志のようにも見える。