アニメ「時をかける少女」

時をかける少女」を見てきた。次から次へと山場を持ってくる技術に感服し、退屈を感じることなく惹きつけられていった。初めはアニメ的な演出や主人公の女の子の性格が好きになれなかったが、次第にその文法に違和感を覚えなくなっていき、この文法だからこそ出来る表現に納得していった。
 SF的な設定に多少興ざめするとか、もっとキャラクターの存在感が出ていればとか、少しイメージが優先しすぎているのではないか、などというのは中年の戯言だろうか。ひとつの傑作であることは間違いない。
 かつてマンガ家を夢見ていたこともあった身としては、時間をここまで縦横に操る技術に嫉妬を覚え、結局自分は何の作品も生み出せなかったという後悔の念が生み出されたりもするが、そんな感情も含めて肯定しようとするところに、この映画の意義の一端もあるはずだ。−はずだーと書かざるを得ないのは実はこの映画では、そういう肯定の力はあまり強くは無い。取り返しの付かない現実と向きあうという面はそれほどあるわけではない。もっとも、これも中年の戯言なのかもしれない。この映画の想定しているだろう観客層にとっては、そんなことはあまり問題にならないはずだ。
 少年期に「銀河鉄道999」に感動した経験があるが今それを見返すと、製作側の大人の、少年への支配欲を感じ不快感も覚えるのだが、それに比べ、素直な感情の発露をうながすこの映画のほうが、はるかに健全な教養映画ともいえる。しかし、これは時代の違いという面もあるだろう。奔放な少年に一定の指針を与えることにかつての子供向け作品の役割があったのに対して、現在ではモラトリアムの繭が破れる恐怖を取り払うことが求められているということなのかもしれない。