自由・真空

自由とは極めて抽象的な概念であり、それ自体で存在するものではない。
限定されたカテゴリー内でのみ、その存在が、かろうじて確認可能なものである。

移動の自由という限定を設ければ、高速移動を可能とするテクノロジーの開発、移動テクノロジーの利用条件の簡易化、国家による人の移動の制限の法的緩和、等による移動に関する個人の裁量権の拡大をもって、移動の自由は拡大したとは言えるだろう。
その一方で移動の強制も同時に発生する。交通機関の運営を安定的に持続拡大するためには、大量の移動が常時行われなければならない。マーケティング技術は人を移動の欲望への拘束に働きかける。

権力の監視が霧消すると同時に、中間集団の闘争が激化する。

共同体の因習から解放されると同時に、孤独に閉塞される。



世界に真空は存在しない。
あらゆる領域に、あらゆる力が働いており、人は一時たりとも真空状態を得ることはない。
自由とは、充満した力を相対化する契機をもたらす符号であるほかはない。