「切り取れ、あの祈る手を」 佐々木中

何も新しい事態は始まっていおらず、何も終わってはいない。
芸術が社会学の対象としてのみ扱われる、その行為事態が「情報」であり、「文学」とは「読み、読み変え、書き変え、書く」革命を指向する行為であり、現状追認の合理化ではない「懐妊」の言葉を紡ぐことこそが文学であると語る。
「中世解釈者革命」から情報化、データベース化は始まっており、それは何も新しい事態ではない。詩や小説に限定されない、読み、読み変えることの革命性こそが文学であり、それは終わりを設定すること自体が意味をなさない。
「始まり」や「終わり」や「現代」の見取り図への切望は病理であり、生きることそのものとしての文学を引き寄せようとする。

長期的な視座で歴史を見ると変わらない層が見え、短期的な視座で見ると破壊的な層が見える。投瓶通信は自足の口実に使われ、社会に働きかける営業活動は近視眼的な迷宮にはまり込む。