コラム

宙吊り

宙吊りに耐えるという「正論」はしかし、それをそのものとして生きれば社会性は瓦解する。 ゆらぎにアドバンテージを与える議論は往々にして日本的な自然観をベースにした価値の正当化と結びつく。 宙吊りを実践するのなら、そこには何らかの言語的基板が必…

精神衛生の確保

本物に、いい物に触れること。精神衛生の確保にはこれが一番手っ取り早い。 雑誌やネットなどの文章を読んでいると、頭が混乱して妙な不安感や劣等感を抱かせるものがあるが、名著、名作と言われるものは論旨が明快で、隅々にまで目が行き届いており、そこで…

世界と運動

キリスト教などの一神教は創造主が世界を構築しており、その信仰は世界が読み取り可能な構造を持つはずだと思念する。 正義を実現することが可能な世界が存在すると考えることが、社会運動を支える。 仏教は世界を無常とし、実体として認識すること自体を否…

パフォーマンスとしてのアナキズム

官僚制への抵抗としてのアナキズムは、中間集団と結びついてこそ力を得る。 しかし、中間集団の消滅した社会においてアナキズムは、一種のパフォーマンスとして、フィクショナルな、ただしそこにコミット可能な動機をみいだせるような、ある抽象性と祝祭性を…

エポケー

ある行為に内在する特質の分析と理解が必要であることと、その行為の現実的な効果とその評価を同列に置かないほうがいい。 物事が多面性にあることは所与であり、分析や表現にとってエポケーが必要であっても、行為遂行的な言動に対してエポケーで反応するこ…

贈与 - 処分場なき廃棄物 -

共同体は崩壊したと言われる。たしかに一般的な意味での共同体は無くなったのだろう。それは崩壊して拡散し、国家大に充満して気体のような広がりの中に濃淡があるだけのように見える。共同体は消え、共同性だけが残っていると言えるのかもしれない。 市場型…

反射板

歴史、風土、文脈に人は育まれながら、同時にそこに規定され限定される。何が根拠であり何が阻害要因なのかを判別する基準は存在しない。投企してリアクションに当たる以外にない。 リアクションの反射板がそれまでの共同体ではあまり意味が無い。また、外部…

「コミュニケーション能力」への誤解が生む悲劇とは?

「コミュニケーション能力」への誤解が生む悲劇とは? 仮想敵を見誤ることでかえって問題解決を困難にすることが確かにある。「問題」の結節点を一本一本紐解けば、それは取り立ててモンスターでもない。絡まった紐の塊が奇怪な形態を示しているだけだといえ…

参照点の不在

実体的な参照点の不在を所与の条件とし、あらゆる躓きをフックとして積み上げる。 芸術、政治、身体、歴史、国家、言語、超越、教育、設計、美学、 一時期、人口に膾炙したクレオールとか、そういう話ではなく、古代ギリシアでもインドでも語られていたよう…

外部性のインパクト

到達すべき地平が想定可能であれ、構造上の阻害要因の内部にあるとき、地平の存在は無限大の消失点となり、絶えざる歩みを強いる道となるか、原罪を刻印する絶対者となるか、現実から遊離した狂人となる。 構造は外部に属するとしても、構造の把握は内部にお…

全体性

全体性への希求が、とりとめのない混沌への現実感覚に基づくものなら、全体性への期待と否認は、あり得ているだろう秩序に対する依存による。 混沌の現実を生き抜くサバイルツールとしての全体性は、早晩現実に浸食されざるを得ない。混沌そのものを生きるこ…

朝日新聞の「どらく」というサイトに載っていた、野球の工藤公康のインタヴュー に感心。特別なことを言っているわけではないけど、その、まっとうなスタンスに打たれる。こういうインタヴューというものは、真の本音というよりは、こうありたいという夢が混…

一回性

全ては一回性の出来事。色々な時代の作品を見ていると、この作家が今生きていたらどう書くだろうかとか、この時代の俳優の演技が今出来ないものだろうかと思うことがあるが、そういうものは全て、その時代の生活の条件と、そこで夢見られた欲望の具現化であ…

仲ナヲリの発見

もう20年くらい前になるだろうか、NHKの歴史番組でロシアに漂流した日本人が紹介されていた。検索して調べてみると、たぶんそれは初めて露日辞典(というよりスラブ語‐薩摩弁辞典らしい)を編纂した「ゴンザ」という人物を紹介したものだったのではなかった…

建国記念の日

太宰治は「斜陽」のなかで、登場人物の直治に次のセリフを言わせている。人間は、みな、同じものだ。なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズ…

全ては文学

最近、よく映画を見たり、小説を読んでいる。ここ数年、10年近くだろうか、そういうものは読めず、社会科学系のものを読んでいた。それが、ここにきて自分の中でモードが切り替わってしまった。理論なんてものに真面目に付き合っているとバカを見るという感…

自由・真空

自由とは極めて抽象的な概念であり、それ自体で存在するものではない。限定されたカテゴリー内でのみ、その存在が、かろうじて確認可能なものである。移動の自由という限定を設ければ、高速移動を可能とするテクノロジーの開発、移動テクノロジーの利用条件…